真のプライド
昔から芝居の世界では、「人が口にする言葉は、
たとえそれが誰に向けられていようと、
つまるところはその人自身を語っているのだ」
こんなことを役者達は教えられてきました。
ある意味人間研究所のように、
とことん、偽のプライドなんて剥がされてしまいます。
・・・劇団や演出家にもよりますが。
心理学の世界では
ひとは、自分の中にあるものを他人との関わりで、
やっと見ることができる、とします。
(覚醒するまで、本当の出会いはしていない。
世界に自分自身のエゴを映し出して見てるだけ)
怒りは、それが自分のウイークポイントに触れそうだという
怖れであり、大事にしたい部分が揺らぐと噴出します。
何か充分でないという、欠損箇所とでも言いますか。
原因は手をかけていないこと、つまり愛が注がれてないところは
どうしたって弱くなりますね。
例えばプライド。
真のプライドは揺らぐことがありません。外からのちょっとした影響で
すぐにプンプン、ムカムカ、あるいは落ち込む時、
対処が必要なのは自分の側なのです。
相手の反応を真摯に受け止めるので
真のプライドはそこで即効対処するので
トラブルに発展しません。
ホントですよ。これ。
(相手も自分も同じようにありのまま見るなら、
痛みも愛も、ことばの外で伝わっていくことだろう)
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